大判例

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東京高等裁判所 昭和28年(ネ)91号 判決

控訴人(被告) 国

訴訟代理人 堀内恒雄 外二名

被控訴人(原告) 宮尾てる 外五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人等の請求を棄却する。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人等の負担とする。」との判決を求めると申し立て、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実及び法律上の主張は、次の事項を付け加える外、原判決の記載と同一であるから、これを引用する。

控訴代理人は、次のように付け加えて述べた。

一、本件勾留には何等の違法はない。

旧刑事訴訟法第八十七条にいわゆる罪証を湮滅する虞があるときとは、罪証湮滅の疑があるとき換言すれば罪証湮滅の蓋然性があるときをいうのであるから、この蓋然性を合理的に推認できる場合には、勾留の事由が具わり、勾留は適法なものとなる。被告人宮尾袈裟理(以下単に宮尾という。)に対する刑事記録によれば、勾留事由に関する控訴人の主張事実はすべてこれを肯認できるから、本件勾留についてはその事由において欠けるところがなかつたものである。なお勾留の事由が存続する限り証拠調終了後又は判決言渡後でも、勾留を更新し、または保釈の請求を却下できることは、旧刑事訴訟法第百二十一条の規定に徴しても疑のないところである。

宮尾は二十才で肺結核にかゝり、その後時として悪化療養したというが、概ね普通の生活を送り、酒造業を営むほか数個の公職にも就き、昭和二十一年四月再発療養したとはいえ、昭和二十二年一月には投薬を廃しており、本件勾留直前には選挙運動のため村内数ケ所で演説を行い、当選後村長の職務を執つていた。すなわち拘禁当時少くとも通常の社会活動をなしうるだけの健康を保持していたものといわなければならない。勾留中宮尾の健康状態に格別の変化のなかつたことは、原審において詳述したとおりであるが、なお六月十一日から九月十日までの間四回の公判に健康上支障なく出廷しており、在監中に延百人に余る面会人に接見所で面会しており、屡々面会人に対し健康状況の良好であることを述べている。宮尾の健康は、決して勾留に堪えないほどの急迫のものではなかつた。

なお被控訴人は、滝沢判事が記録の取寄をしたために、記録の送付が約一月おくれ、東京高等裁判所から東京拘置所への病況照会書が約二週間おくれたことも、国の賠償責任の素因を構成するものだと主張するが、滝沢判事の記録取寄は適法な行為であるから、これを不法行為の責任とすることはできないし、病況照会書の遅延によつて本件勾留が違法化するものでないことは、原審において詳述したところである。

二、刑務所の健康管理の面にも違法はない。

長野刑務所安達医師は、宮尾が収容された翌日、問診、視診、打聴診を行つたが、外見上も普通の健康体と違わず、特記すべき病的所見がなく、特にエツクス線、赤沈検査などを必要とするような状況ではなかつた。しかし同医師は、宮尾の病歴からみて非活動性の肺結核症と解し、保健助手が健康診査簿の監察要不欄(身体)の部に、「否」総評欄に「乙」と記載していたものをそれぞれ「要」「丙」と改めた。すなわち同医師は、宮尾の肺結核症を療養又は休養を要する狭義の患者ではなく、特別の過労を禁じ、時を隔てゝ健康診断を行うべき要監察者と判断したもので、この判断には誤りはない。宮尾の健康が当時急迫した状況になかつたことは、前にも述べたが、宮尾の主治医自身が宮尾に立候補を許し、村長就任を許している。主治医も宮尾の症状を老人性非活動性肺結核症と解し、シユーブのない時期には、凡そ平常の生活を営ませるように指導していたものとみなければならない。

なお鑑定の結果からも分るように、全身状態、胸部打、聴診のみではその判定の精度は限られている。しかも入監時の健康診査が、主として刑務所の作業分類に関する立場からの診査と、団体衛生の立場からの伝染病者及び著しく健康を害している者の診定とに重点を置いてなされるものであることを考慮すれば、安達医師の右診断をとがめることは酷であり、またエツクス線その他の検査をしなかつたことも過失とはいえない。刑務所は病院ではないし、現に宮尾の主治医もこうした検査方法を施していない。

安達医師は、その後数回宮尾を医務室に招致し、診察を行つたが、特記すべき所見を認めず、十月二十五日にいたり、宮尾から胸痛の訴があり診察した結果、結滞脈をみ、これに対して心弁不全症と診断名を付し、正規の診療簿を作成記載するとともに、投薬、注射をしたが、宮尾の結核症は症状が固定し、非活動性のものなので特に療養を要するほどのものでないとして、病名欄に肺結核症という診断を記載しなかつた。十月三十一日に東京拘置所に移送するに当り、安達医師は診察を行つたが、格段の病的所見を認めなかつたので、移送可として出発せしめた。

これを要するに、安達医師は、宮尾の肺結核症を老人性の非活動性慢性のものと診断して過労を禁じ、進んで診断を行つて経過を看視する措置をとつている。これは近代の結核指導分類に従うと要注意に該当するもので、一般の老人性慢性非活動性結核症に対してとられるものであつて、極めて当を得たものであるから、安達医師の処置には敢て責むべきものがなかつたといわなければならない。

長野刑務所においては、一定の運動時間以外安坐しているのであつて、肉体的な安静という意味からいえば、寧ろ拘禁前より療養上有利であり、自覚的にも他覚的にもシユーブの徴候は全く認められなかつた。すなわち長野刑務所在監中に連続して発熱したことも下痢をしたことも、体のやせもなかつたのであるから、肺結核が拘禁の結果とはいえない。また仮りにシユーブが始まつていたとしても、これに気付かなかつた係官には格別の過失はなかつたものといわなければならない。

東京拘置所では、長野から移送後十一月四日に、血痰があるとの訴で仲野医師が診察し、別に憂慮すべき所見はなかつたが、肺浸潤と診断して準病舎に収容し、栄養剤の投与を行い、加療を続けている。

十一月二十六日に東京高等裁判所から病況照会を受け、野崎医師が診察した際、左肺前上部に呼吸音鋭利で右肺下部に呼吸音の弱いことを聴取し、また赤沈検査を行い、その正当値であることを認めた。仲野、野崎両医師は、宮尾の肺結核症の老人性の慢性非活動性のものであつて、勾留の執行停止を必要とするほどのものではないが、宮尾の年令や血痰喀出という訴を考慮して、好意的に所外療養が望ましい旨意見を述べて回答し、十二月一日宮尾は保釈出所した。

右のように東京拘置所においては、宮尾を肺浸潤と診断し、準病舎に横臥せしめて栄養剤の投与を行い、その経過を観察しているものであるから、その措置を批難するのは当らない。もし刑務所は刑務所であると同時に理想的な病院でなければならないという前提に立てば、宮尾に対する係官の措置には欠けるところが多かつたといえるかも知れないが、刑務所は病院ではない。刑務所における健康管理は、あくまで行刑目的に奉仕すべきものであつて、疾病の治療を唯一無二の目的として行われるものではない。刑務所の病院的機能は人的物的施設の面において大きな制約を受けている。監獄法第四十二条、第四十三条は、このゆえに設けられたものである。本件の場合、仮りに健康管理上若干の欠陥があつたとしても、それが違法の評価を受けるほど甚だしいものではない。

次に在監者に執行停止の事由がある場合及び疾病が危篤である場合には、刑務所の方から進んで在監者の診断関係事項を検察官に通報することになつているが、然らざる場合には、刑務所から検察官や裁判官に対して進んで在監者の診断関係事項を報告するようなことはない。本件の場合宮尾の健康状態は、執行の停止を必要とするほど悪化、急迫の状態にあつたものではないから、刑務所の方から進んで検察官又は裁判所に通報すべき場合にあたらない。

最後に仮りに刑務所の健康管理に違法な点があつたとしても、勾留(健康管理を含めて)と死亡との間に因果関係のないことは、原審で述べたとおりであつて、宮尾の勾留直前の動静や釈放後の行動から推せば、彼に療養専一の生活を期待することは明かに無理であつて、勾留されなかつたとしたら、村長の劇職が彼の生命を奪つたとみる方が、むしろ客観的な合理的な見方ではあるまいか。

右控訴代理人の主張に対し、被控訴代理人は、次のように述べた。

一、本件勾留は違法であつた。

控訴代理人は、刑事記録によれば勾留事由に関する控訴人の主張事実はすべて肯認できると主張するが、「罪証湮滅の虞あり。」という勾留事由自体から見ても、六ケ月に亘る勾留が不当違法であつたことは、被控訴人が原審において述べたとおりである。特に選挙違反被告事件において、第一審弁論終結後までなお「証拠湮滅の虞あり。」として、当年六十三才の現職村長の勾留を継続する必要があるとは到底首肯できない。弁論終結後の勾留継続の真実の理由は、事実を否認し通した宮尾に対する報復であり、自白強要の具に供したものであり、更には被告人の防禦権の行使を制限して第一審判決の覆ることを防がんとする意図に出たものであるといわざるを得ない。少くとも全勾留期間の後半は勾留事由自体からみても勾留事由なく、勾留は違法であつた。

一方宮尾の健康状態について見るに、昭和二十二年五月十二日強制処分を受ける直前と、六ケ月半を経て、同年十二月一日保釈となつてからのそれとを比較すれば、本件勾留がいかに同人の健康をむしばみ致命的なものにしたかは容易に理解できる。宮尾は、控訴人の主張するとおり、勾留直前には、とも角選挙演説も数回行い、当選後は村長の激務も執るだけの体力を有していた。しかるに保釈となつた同人は憔悴甚しく、歩行困難、少し動けば呼吸困難を覚え、殆んど横臥しており、身体に浮腫を来し、既に病状重篤であつた。すなわち同人の健康は、死の危険に瀕していたことがうかがわれる。勾留後における肺患部自体の悪化程度如何や、腸結核の併発はしばらく措くとしても、同人の全身的状況の悪化は明瞭で、一般症状はすでに重篤に陥いつていた。これは長期勾留中の環境の不良、栄養摂取の不能、勾留による肉体的苦痛、精神的不安、適当な医薬療法のできなかつたこと、温い家族の看護を遮断したこと等に起因し、長期の勾留が積極的にも消極的にも、療養の道を阻ぎ、長期間悪条件の中に閉込めた結果に外ならない。一週間や十日の勾留ならいざ知らず、六ケ月半の長期勾留に堪え得る体でなかつたことは明瞭である。

右宮尾の健康状態と事案が選挙違反であり、他の関係者は総て早く保釈せられておこること並びに宮尾の年令、地位、その他を考慮すれば、少くとも弁論終結後である昭和二十二年八月二十八日付及び同年九月五日付の保釈願を却下したことは違法である。第一審弁論終結後は、勾留事由消滅し、勾留が違法であることは、前に述べたとおりであるが、仮りに当時未だ勾留事由が完全に消滅していなかつたとしても、保釈は、勾留事由存するにかかわらず、保証金を以て身柄を釈放する制度であるから、前記事情のもとにおいて、保釈願を却下したことは違法たるを免れない。

更に滝沢判事が勾留更新決定を行つた点についても、形式的には長野地方裁判所判事の資格であつても、宮尾の事件には直接関係していない同判事が勾留更新決定をするのは妥当でないばかりでなく、旧刑事訴訟法のもとにおいては、訴訟記録が一旦原裁判所を離れた以上、控訴裁判所が、勾留更新、保釈等すべての決定を行わなければならないことは、同法第百二十一条の規定から知り得るところであつて、長野地方裁判所判事である滝沢判事の勾留更新決定は権限なき者による決定であつて違法であり、その結果として継続された爾後の勾留はすべて違法な勾留の延長といわなければならない。

二、刑務所の健康管理の面にも違法があつた。

長野刑務所の安達医師も、なるほど、宮尾の収監時、移監時には、控訴代理人のいうような監獄法所定の手続を履んでいるという意味では違法ではないといい得るかも知れないが、問題は形式的な手続上のことではなく、医師として宮尾に対する診断、処置等に過失がなかつたか否かであるが、同医師は宮尾の入監当時、同人から「肺浸潤加療中、屡々喀血あり。」との申出を聞き、これを現在症の意味であると解しながら、他方診断の結果健康診査簿の「疾病その他異常」の欄に「ナシ」と記入している。右のような申出があれば、血沈、エツクス線検査をするのが現代の医学常識であり義務であつて、この点刑務所の医師であつても例外ではない。

当時長野刑務所にはエツクス線の設備もあつた。当時同医師が、血沈、エツクス線の検査を行つていたら、たとい初診の安達医師にも、宮尾の病状は明瞭に判明し、不幸な結果を招来しなかつたのであつて、安達医師の診断には、故意に非ざれば、過失の責任があるといわなければならない。

昭和二十二年十月二十五日「胸痛あり」との訴による診察した際、これを「心弁不全症」と診断したものも、明かに誤診であり、それから六日後の十月三十一日には、単に体重を測定したのみで、他には何等の診察をもせず「疾病その他異常ナシ」として東京に移監しているのは、更に過失を重ねたものである。

三、最後に昭和二十二年十一月十二日訴訟記録が東京高等裁判所に到達すると同時に、弁護人高屋市二郎は即日同裁判所へ保釈願を提出し、これが許可になつたのは、同年十二月一日であつて、その間二十日を経過している。この原因は、十一月十二日同裁判所から東京拘置所に出した病状照会の回答が遅延したからであるが、その責任が、裁判所にあるにせよ、拘置所にあるにせよ、国家機関の故意又は過失に基くものであることは多言を要しない。

以上を要するに、各国家公務員の故意又は過失に基く行為が累積して、本件不当違法な長期勾留を敢てし、宮尾に長期に亘り肉体的精神的苦痛を与え、その病状を悪化させ、遂に未だ生き永らえ得る同人の生命を縮めて、早急な死の転帰を見せしめたものである。

〈立証省略〉

理由

控訴人に対し、国家公務員の不法行為により被控訴人等先代宮尾が被つた精神上及び肉体上の苦痛に対する慰藉料並びに被控訴人等が同人の配偶者及び子として、その死亡による慰藉料の支払を求める本訴請求は、次の事項を付け加える外、原判決の記載と同一の理由により、その認容した限度において、理由があるものと認めるから、右の記載を引用し、これを認容する。

一、旧刑事訴訟法第九十条は、同法第八十七条の規定により被告人を勾引することができる事由のあるときは、被告人を勾留することができる旨を規定し、第八十七条第一項第二号は、被告人を勾引することができる事由の一として、被告人罪証を湮滅する虞のあるときと規定している。しかしながら被告人の勾留が確定判決によらないで、人権のうち最も尊重されなければならない人身の自由を奪う、極めて例外的な措置であるべきことに思をいたせば、被告人の勾留及びその更新は、刑事訴訟法上真にやむを得ない最少限度においてのみ許容せられ、かつ、一旦適法に開始された勾留と雖も、事案の内容、爾後における審理の経過、被告人の健康、年令、地位等の状態、事情等により、勾留を継続しなければならない事由が存在しなくなつた場合はもちろん、保釈によつて刑事訴訟法上の目的を達することができる場合には、すみやかに勾留の取消又は保釈を許可し、いたずらに人身の自由を奪つてはならないことは、これに関与する国家公務員の当然の義務であつて、同法第百十三条が、勾留の期間を二月とし、「特に継続の必要ある場合において」のみ、これを更新することを認め、かつ、同法の審議にあたり、「一月毎」にの制限が附加されたのは、右の法理を物語るものに外ならない。また保釈の許否について検察官の意見が、裁判所を拘束するものでないことはいうをまたないが、公益を代表して、公訴の提起、維持についての全責任を負担する検察官の職責に鑑み、少くとも保釈を相当とする検察官の意見については、裁判所は、当然これに深甚の考慮を払い、でき得る限りすみやかに、その許否の判断を下すべきは、また当然といわなければならない。

本件において、少くとも被告人宮尾に対し、長野地方裁判所が、有罪の判決を言い渡した後にあつては、同人の勾留を継続させるについての事由であつた証拠湮滅の虞れを認むべき合理的根拠を知ることができないこと、同被告人の健康状態の判断について、長野刑務所の医師に過失のあつたことは、いずれも当裁判所が引用する原判決の記載するとおりであつて、これらの事実と、当事者間に争のない昭和二十二年十一月十二日第二審弁護人高屋市二郎が東京高等裁判所に対してなした保釈の請求に対しては、検察官はこれが許可を相当とする意見を述べたのにかかわらず、その後二十日に近い期間を経た十二月一日にいたり初めて保釈許可の決定がなされた事実並び原判決が詳細に認定記載している事案の内容、審理の経過、被告人の健康、年令、地位等の一切の事情を総合考察すれば、すくなくとも第一審の有罪判決が言い渡された昭和二十二年九月十日から同年十二月一日保釈出所にいたるまで、被告人宮尾を勾留したのは、これら勾留を継続させた国家公務員において、少くとも過失により、前述の義務に違背し、同人の自由を侵害したものと解する外なく、国家賠償法施行以前にあつては、国家賠償の外にあつたこれら違法な状態は、そのまゝ継続せられ、同法施行とともに、その後の行為は、国家損害賠償の対象となつたものといわなければならない。

控訴代理人は、滝沢判事の記録取寄は適法な行為であるから、不法行為の責任とすることはできないと主張するが、その成立に争のない甲第五号証の二、三によれば、滝沢判事が記録の取寄をしたのは、当時長野簡易裁判所に係属した被告人小林喜次郎外一名に対する村長選挙罰則違反被告事件であつて、よし記録取寄自体が適法な行為であつたとしても、これがため記録送付を求めた昭和二十二年十月一日からこれを返還した同月二十七日までの間、いたずらに被告人宮尾の勾留を継続長びかしめたことの正当の事由とすることができないのはもちろん、更にその間十月十一日みずから(長野地方裁判所判事としてではあつたが)勾留更新の決定までしなければならなかつた特別の理由は、到底これを認めることはできない。また東京拘置所にあつて昭和二十二年十一月十二日付東京高等裁判所の被告人病状照会の書面が、同月二十五日付再度の照会書の到達するまで、東京拘置所係官の手許に届けられなかつたことに、その間これに関与する国家公務員の過失とこそなれ決して、前記認定を覆すものではない。

二、すでに宮尾の勾留を継続せしめた裁判所職員の措置にして不当な以上、これを執行する刑務所職員の行為は、国家の賠償責任の有無を定めるについては、更に深くいうを必要としないが、宮尾の健康に対する判断及び措置について、長野刑務所及び東京拘置所の医師が、十分な注意を怠つたことも、当裁判所が引用する原判決の詳細に認定記載するとおりであつて、当裁判所における証人安達政信、中村政喜、仲野一、大津正雄、野崎陽之輔、山田秋次の各証言中右認定に反する部分は、当裁判所これを採用しない。

控訴代理人は、監獄法の諸規定を引いて刑務所の医師に何等過失のなかつたことを主張するが、控訴代理人も主張するように、主として行刑目的のため、刑務所における作業分類、団体衛生の立場に重点をおいて規定された監獄法の諸規定が守られたというだけでは、原判決に詳細に認定しているような事情のもとにあつた被告人宮尾の健康管理については十分な注意が払われたものとは解し難く、被告人を勾留したときは、その身体及び名誉を保全することを注意すべき旨を規定した旧刑事訴訟法第九十二条の義務をも尽したものとはいい得ない。

三、原審及び当審における証人宮尾篤、高村亘、笠井清美、青木富己雄、宮崎万の各証言を総合すれば、宮尾は昭和二十二年十二月一日退所当時、栄養失調症状にあり、衰弱の相当に甚だしかつたことが認められる。当審証人宮尾篤、中村政喜、宮島賢治の各証言及びこれにより全部真正に成立したと認める乙第二十九号証の全部及び乙第三十号証によれば、宮尾に対しては、長野刑務所に勾留中日々卵、牛乳、果物その他副菜の差入があり、また東京拘置所に勾留中も、パン、練乳、牛乳等の差入があつたことを認めることができるが、これら栄養物の摂取に併せ精神的、肉体的安静を絶対の必要とする肺結核、殊に後期においては、原判決にいうように腸結核をも併発した宮尾に対し、前記食料品等の差入があつたというだけで、前記認定を覆すことができないのみならず、刑務所の健康管理に遺憾がなかつたということはできない。

四、尤も前記証人宮尾篤、笠井清美、青木富己雄、高村亘の各証言によれば、宮尾は昭和二十二年十二月一日出所後直ちに長野県上水内郡栄村の自宅へ帰らず、同月十二日まで東京都内目白にある宮尾篤の下宿先に滞在し、退京の一、二日前には、丸ビルにある弁護士高屋市二郎の事務所を訪問したこと、同月十二日一旦長野市内県町の知人方にいたり、同家に同月二十一日前記自宅に帰るまで滞在し、その間相当多数の見舞客に接し、また長野市内にある酒造協会まで出かけたこと等を認めることができ、これらの事実と当時の汽車旅行がどのような困難なものであつたかを思い合わせると、宮尾の出所後における行動が、同人の早い死の転帰を見るについて、相当な影響力を持つことは到底否むことはできないが、前記証人宮尾篤、高村亘、原審証人小林康之の各証言を総合すれば、宮尾が出所後直ちに帰郷せず、十日以上東京都内に滞在したのは、当時衰弱が甚だしく、長途の汽車旅行に堪えなかつたため、この間休養して体力の回復を図るためであり、また汽車旅行も、たまたま行き合せた知人の好意により席を与えられ、控訴代理人の主張するように、長途立ち続けたものではなかつたことが認められ、当時わが国の社会各般における極めて窮乏した状態と、屡々言及した宮尾の憂慮すべき健康状態とを併せ考えれば、同人の死が、右出所後における行動にもまして、夏、秋、冬の長きにわたり、その肉体及び精神の上に加えられた極めて不安な拘禁生活に、深い原因を有することは、到底これを否定することはできない。

五、当裁判所は、以上一切の事情をしん酌し、なお被控訴人等が、その配偶者及び父の不慮の死によつて被つた精神上の苦痛は、原判決が認定した金額を支払つて慰藉するを相当と認める。

以上の理由により、本件控訴は、その理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 小堀保 原増司 高井常太郎)

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